連日の猛暑だが、関東の梅雨はなかなか明けない。
(言葉が)出そうで出ない状態と言うのは、結構こちらを釘付けにする。 梅雨明け宣言を聞いて、スッキリ夏に入りたい。 先行する暑さで、小暑(7日)も霞む。 とはいえ、小暑・大暑の30日間。ここが山場なことに違いはない。 身体は正直で日中の暑さに辟易すれば、自ずとサマータイムを採用する。生活がすこし朝型になった。 涼しい内に用は済ませて、暑い日中は昼寝としようか。 また、金継ばなし(自慢)で恐縮。 この仕事も苦労した。 猪口の口に欠けがある。 敏感な唇に当たるので、継ぎを感じさせない滑らかさが欲しい。 しかも、口の形が波型で、波頭をある程度尖らせないといけない。 こうした繊細さが職人仕事の醍醐味でもある。堪能した。 まずまずの出来か。 6月6日「芒種」。
既に梅雨入りしているが、雑節「入梅」は五日も後だ。 長梅雨になるのだろうか。梅雨寒が怖くて冬物の整理が進まない。 6日は旧暦では五月五日。 今日いち日、数字を選ぶような時にはゾロ目にしようと決める。 五月五日は“端午の節句”。 何か邪気払いがしたい。 世の中には、菖蒲の葉のかおりを楽しむ「菖蒲酒」というのもあるらしいが、身近では手に入らない。 柏餅で酒を飲んでも、邪気払いにはならないのだろうなぁ。 金継は久しぶりに手間のかかる仕事になった。マグカップの持ち手を繋いだが、釘を切断してステンレスのビスを作ることからはじまる。カップ本体と持ち手の間に埋め込んで強度を出すのだ。 接着は口に入る場所ではないのでエポキシ樹脂を使用。麦漆より強度が増す。 表面の漆を少し盛り上げ気味に仕上げた。 安心感が増すような気がしたのだ。 8月20日が旧暦七月(文月)一日、「立秋」(7日)からだいぶ日にちが経ったが、
暦の上でも秋になった。夜、窓近くに虫の声を聴くようになっている。 そして、23日が二十四節気「処暑」。 蒸し暑い日が続いていたが、暑さもそろそろ終わりか。この日の風は爽やかだった。 この夏は温度より湿度に苦しめられた。息苦しいほどだった。やっと楽に呼吸ができる。 まだ暑さはぶり返すだろうが、夏の名残を惜しむ余裕も生まれようだ。 26日が旧暦の「七夕」。 夜空を見上げることが多くなるな。 金継。3年前に預って、作業に2年ほどかかった。 万古焼き(と思う)は胎が硬く、漆が着きにくい。 成形した注ぎ口の先端は何度も剥がれ落ちた。 蓋は表を金で化粧しだが、 裏は全体に色漆を塗って強度を出した。
“禅”は取っつき難かったと前に書いた。
宗教関係の本を読むのは嫌いではないが、禅の本は読んだことがない。現代訳の「正法眼蔵」と「無門関」を買ってみた。 一行読んで思い出す。初見ではない。 これは昔、難しすぎて投げ出した本だ。余りに昔で、挫折体験だから、抑圧して自分の中で無かった事になっていたらしい。 今読んでも難解に過ぎる。閉ざされたままの門を前にぼう然とした。 なにも進歩してないという事実に意気消沈する。 それにしても釈然としない。アメリカ経由で入ってきた「禅ゴルフ」が分かる(様な気がする)のに、日本の本がチンプンカンプンというのはないンじゃないのー。 まわれ右して、手引書を探しに向う。英訳でも探すか。(ヤケで言っている。英語が得手な訳でもない。) 手引書の中にこんな一文を見つけた。 『西洋では、仏教の用語ですらも翻訳用語を統一している。たとえば、「悟り」は、英語でもドイツ語でも「明るくなること」と訳している。明るくなってすべてがはっきりと見えて理解できるから「悟り」だということだ。こういう翻訳は体感的で分かりやすいのではないだろうか。「悟り」という日本語のほうが、まだまだ観念的だ。』(仏教超入門 白取春彦 PHP文庫) なるほど。 何気なく使っている漢字だが、今でも漢語翻訳の壁はそこここに立ちはだかっている訳か。もとは外国語なんだよなぁー。個人が意気消沈して済む様なハナシじゃないね、これは。 すると、英文や英文翻訳もあながち見当ハズレな道筋とは云えない訳だ。 すこし気長かつ前広に、探してみるか。 (金継)継ぐばかりでなく、欠けた部分を復元することもする。 色を地肌に合わせて、欠けを無かった様に見せることもできるらしい。 個人的には無かった事にするのは趣味じゃない。
人物デッサンの教室が始まった。
やはり教室は楽だ。他人に囲まれれば自ずと緊張するし、刺激も受ける。自堕落から抜けられる。 そして、先生が居る。進むべき方向を指し示されただけで、既に限界を超え出た様な気分になる。指南とはよく言ったものだ。 技術的なことも然る事ながら、精神的に安定する。 先日、ゴルフのスウィング・チェックを受けたところ二軸打法のつもりが一軸打法に戻っていると指摘された。いつの間にか我流の迷路に嵌っていた様だ。 六十を過ぎて、宮本武蔵の「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす。」の言葉が重い。わたしの稽古事に、もはや万日はない。 時間がない分、指南の有難さが身に沁みるということか。 習い事は増えるばかりだ。 写真は金継。急須の折れた取っ手をつないだ。芯に竹材を入れて補強した。指南は補強材かな。定年後、本の読み方が変わったと思う。
(そんなに読んでいた訳でもないが)以前は、評判になったものを話題が下火にならないうちに読もうとしていた。情報には鮮度が必要と考えていたのだろう。 定年後の生活にも鮮度の高い情報は必要と思うが、その優先順位は確実に下がっている。その分、「好き嫌い」や「分かる分からない」が前に出てきた。老人性の独善。そのうちガンコジジイと言われるようになるのか。 鮮度から自由になってみると、近所の図書館というのは実に便利だ。インターネットの検索で自宅の蔵書と変わらない。おまけに、本の受け渡しに足を運ぶのが運動にもなる。そんな図書館で、棚に「信長の棺」が2冊並んでいるのを見つけた。いっとき話題になった本だが、人気も下火になり借り手も減って並んでいるのだろう。当時、読み逃していたので借りてみた。 面白かった。深夜までかかったが、一気に読み通した。 歴史の謎解きミステリーも然ることながら、主人公である伝記作家・太田牛一を面白いと思った。リタイア後に信長の遺骨探しに挑むのだが、歳を重ねた者のしたたかな知恵と情熱に惹かれる。 京都寺町の阿弥陀寺にも行ってみたい。 老人性の独善にも効用はある。読書は情報摂取から快楽に変わった。しかし、徹夜はもうやめておこう。 (写真は金継。陶芸をやる友人のモノだが窯割れがあった。割れの形が面白いので手元に残したと言う。そのまま文様として空隙を埋めてみた。)
金継をはじめて3年ほどになるだろうか。
金継というのは、割れたり欠けたりした陶器を漆で接着し、表面を金粉や銀粉で化粧するもので、漆蒔絵と同じ技術だ。 手持ちの欠けた器を補修したかった。 これはわたしの湯のみ茶碗。結婚祝いに親類からもらった夫婦茶碗だが、三十数年たってひびだらけになり、危なくて使わずにいた。(カミさんの分は何故かひびひとつない。・・・女はつよい?) ひびに漆を染込ませる「含浸」という手法で継ぎ、銀で化粧した。 ひびは雲中の雷光に変身した?拙い出来だが気にいっている。 金継をしていて気付くのは、壊れが器に個性と美を付与することだ。 数物の器も壊れた時から世界にたった一つのものになる。 壊れを補修して、モノの生命を永らえさせる。そして、壊れの跡を新たな景色や風情として賞美する。こうしたものの見方に触れて、ふと思う。自分の人生にこうした人生観とスキルが在っただろうかと。 ・・・金継はほろ苦い。 < 前のページ次のページ >
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